廃墟写真集「棄景」…
「棄景」(宝島社) 1993年刊 丸田祥三
2020年 (令和2年) 12月9日(水) 朝日新間
■ 「廃虚」に魅せられる人々
11月下旬、記者が訪れた長崎市の軍艦島(端島)は見学者であふれていた。 長崎港から高速船で30分。最高品質の石炭を産出した炭鉱の鳥で、 一時5千人以上が暮らしたが、1974年の閉山で全員が退去。 現在は朽ち果てた高層アパート群が残る。世界文化遺産にも登録されている。
2009年に上陸が許されるようになって以降、100万人以上が訪れたという。来訪者の多くが、「来られてよかった」と話していたのが印象的だった。
日本人は「廃虚好き」と言われる。現在に続くブームは 80年代に端を発するが、 その流れに一石を投じたとされるのが、93年刊行の『棄景』だった。著者は当時新進気鋭だった丸田祥三さん (56)。大学卒業後、東映のテレビ事業部で働きながら、休みを使って写真を撮り続けていた。「ちょうどバブルがはじける少し前で、仕事も忙しかったので、遠くまで撮影に行く余裕はありませんでした」と丸田さん。そんな時、東京・国分寺市の鉄道学園 跡地で打ち捨てられた新幹線0系を見つける。
最先端といわれた列車の惨状にショックを受け、自分の周囲を見渡すと、高度成長期の建物や鉄道の「なれの果て」がごろごろしていた。 「ああ、ぼくたちはこんなふうに色々なものを打ち捨ててきたんだ。であれば、『次に捨てられるのはぼくたちなんじゃないのか』と思って、あの写真集を作ったのです。
日本写真協会新人賞を受賞したものの、評価は相半ばだった。「それまでの廃虚写真集は廃虚を美しく撮るものが多かった。なので、『なんで、あんなにむごたらしく撮るんだ』と言われました。でも、それこそぼくの目指したものだったんです」
18年に企画展「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」を開催した東京都渋谷区立松濤美術館の平泉千枝学芸員によると、現在につながる廃虚ブームの始まりは、18世紀のヨーロッパだった。
「イタリアのポンペイで古代ローマ遺跡が見つかったこと、英国貴族が遺跡の多い イタリアなどを周遊するグランドツアーが盛んになったことで廃虚への関心が高まったのです」と話す。 フランスの ユベール・ロベール、イタリアのジョバンニ・バッティス タ・ピラネージら、廃虚をテーマに描く画家や版画家も登場した。
一方、日本では廃虚が絵画の主題になったのは明治時代以降。 あくまで西洋絵画題の延長としてだった。「日本では万葉集などの文学では廃墟を歌っているのに、なぜか絵画や工芸という形では結実しなかった」と平泉さん。 大正時代の関東大震災などで生じた廃虚を描いた画家もいたが、「そういう悲惨な主題を、なぜ描くのか」と批判されたこともあったらしい。
しかし、高度成長が終わって少し経ったころ、日本でも廃虚に注目が集まり始める。
雑誌「八画文化会館」で11 年の創刊号から、廃虚の特集を組んできた編集者の酒井竜次さん(45)は、故郷の愛知県で90年代から廃虚めぐりを続けてきた。「廃屋になってしまった建物にたまたま足を踏み入れた時、自分だけが何十年もタイムスリップしてしまった感覚を覚えた。廃墟の魅力というのは、そんなところにもあると思います」と話す。
「ただし、有名な廃虚の多くは私有地のため、無断で立ち入ると、現状では不法行為になる。自由に出入りできる軍艦島は貴重な存在です」
神戸市にある「旧摩耶観光ホテル」のように、その美しさから「廃墟の女王」といれ、文化財登録を目指して、 クラウドファンディングでの保存運動が行われたところも見学ツアーもあり、廃虚観光のための有力なコンテンツにもなっている。
だが、丸田さんは「廃虚が注目されるのはうれしいが、 珍しい、変わった場所としてだけ見られるのには、複雑な感情がわく」と話す。
「打ち捨てられた廃墟には、そこで過ごした人々の思いや歴史が積み重なっている。自分としては、それが伝わる写真を今後も撮り続けていきたいと思っています」
(編集委員・宮代栄)
■ 歴史意識あってこその感動
美学者・評論家 谷川 渥さん(72)
日本の廃虚の写真集は1980年代後半と98年以降に、出版の山があるのですが、丸田さんの『棄景』はちょうどその山の間に入る作品です。廃墟という捨てられていく戦後の風景に、自らの時代への思いが仮託されている。
2002年の『廃墟の歩き方』という本には、あるレジャーランドの廃棄年齢を「廃墟化して2年」と書いてある。日本の廃墟ブームは明治以降の近代化で建てられたコンクリート建築から始まったため、百年余の歴史しかないのですが、「雨月物語」の「浅茅が宿」という話に出てくるような、廃虚という捨てられた建物の現代版とも言える光景が今や各地に見られる。
丸田さんの写真集は、「風景を捨ててきている」ということを思い出させてくれます。この点が、それまでの廃墟の写真集と比べ、位相が違う。中でも電車に対する視線は、フランスの詩人でシュールレアリストのアンドレ・ ブルトンが、密林の中に打ち捨てられた列車を評して言った「痙攣的な美」につながると思います。 人が廃虚を美しいと感じ始めるのは17世紀以降で歴史意識が生まれてからです。 現在が未来に廃虚化するだろうという時間的な意識がないと廃虚への感動はない。
日本人は「すべては滅びる」という諦念を持っているのですが、形が崩れていくものにひかれる気持ちも強い。廃墟ブームの根底には こうした意識があると思います。