「日本の廃虚の写真集は1980年代後半と98年以降に、出版の山があるのですが、丸田さんの『棄景』はちょうどその山の間に入る作品です。廃墟という捨てられていく戦後の風景に、自らの時代への思いが仮託されている。丸田さんの写真集は、「風景を捨ててきている」ということを思い出させてくれます。この点が、それまでの廃墟の写真集と比べ、位相が違う。中でも電車に対する視線は、フランスの詩人でシュールレアリストのアンドレ・ ブルトンが、密林の中に打ち捨てられた列車を評して言った「痙攣的な美」につながると思います。」
- 川本三郎氏(評論家)
「”残骸”という負のオブジェが、逆に穏やかで美しい姿を見せる。(中略)懐かしい、いつか見た風景であり、記憶の中の夢の日だまりである。線路も橋も駅舎も客車も、見捨てられたものなのに、みじめさはまったくない。もしかしたら、彼らのほうが私たちを見捨てたのかもしれない。」(『棄景』評より)
「棄てられたものたちに親しむ心の陰影が常に「正しく暗い」ものであることは難しい。この風景に満ちた奇妙な明るさが見る者を戸惑わせるとしたら、それは撮影者の心象が告発や事象と遠く隔てられた場所に結ばれているからに違いない。」(『少女物語』帯より)
- 実相寺昭雄氏(映画監督)
「『東京―棄景Ⅲ』は、写真の詐術を逆手に取ったような、信じられない空気感で時を超えた結実である。若い写真家が、大阪は平野の阪堺電車停留所に、王子電車の早稲田ターミナルの空気を再現できるなどと、誰が思うだろう。日常化しているのだが、映像も捨てたものじゃない。丸田氏は天才である。」
「彼みたいなミュージシャンがいたら、必ず嫉妬することだろう。」
「丸田祥三氏の写真集 『棄景II』(洋泉社)を見せられた時、ある生々しさを感じた。 「棄景」とは「棄てられた風景」、 あるいは「棄てられた光景」の意であろう。(中略)私がこの写真集を見せられた瞬間に感じた、ある生々しさの正体は、血を流している自然の劇痛のみならず、死してなお生きているこれら「物」たちの生霊のうめきではなかったか。 」