「永遠の夏休み」という不安
自由は、一睡もできない夜を連れてきた
今年の4月1日は新入社員にとって、もうどこにも逃げ場の ない月曜日だったと思う。一晩寝て起きて新年度を迎えた途端、「社会」がぼっかり大きな口を開け、のっけから、待ったなしの5日連続出勤を強いる。 同じ5日連続でも4月1日が日曜日という「おまけ」があった昨年に比べ、何の「特典」もない通常の1週間にいきなり投げ出されるのだ。
8日は2度目の月曜日。週末という束の間の猶予期間を超え、今日早くも会社員生活に限界を感じている弱気のフレッシュマン、あなたにだけ読んでもらえればいい、これはそんな文章である。
私が会社に就職したのは15年前のことだ。働き始めたころの記憶と言えば、「オフィスの強化ガラスごしの青空」しかない。あんなに空は青く晴れ上がっているのに…。 最初にい い人に思えた先輩が実は「社内文化 評論家」と言われる輩だった、適材適所の配置は絶対に行われず不向きなことをさせる、いいアイデアは上にあげていくうちにつぶされてしまう、中途半端に優しい人の存在 がいちばん同僚を苦しめる、自尊心の墓場が転がっているーこういったどこにでもある、会社のいやな面だけをあっという間に知らされる日々だったから、無意識に青空の記憶だけしか自分に残さなかったのかもしれない。
会社のことは本当に今なお、思い出したくない。
入社してまもないある日、 「会社の憂さを晴らそうぜ」 と、先輩たちに風俗店へ強引に誘われた。何とかそれを断り、 その集団から逃れて歩いているうちに、気がついたらテレホンクラブにいた。
つながった電話の相手が偶然にも新入社員の女の子だった。 「おばあちゃんまで就職祝ってくれたんだもの。もう簡単には辞められないよお、泣きたいよ」。 彼女も会社がいやで、話は異様にもりあがっていった。 「ねえ、ぜーんぶ捨ててさ、三重県 亀山市に行って、 キャンドル工の職人になっちゃおうか!」 なぜ亀山市なのか、キャンドル細工なのか、それはどうでも よい、とにかくそうしよう、それっきゃないよと私は同意した。 「小田急線S駅裏の自転車置き場の白いフェンスの前」 と駆け落ちの場所を決めた。日時も決めた。しかし、行けなかった。きっと彼女も来なかったと思う。すべてを捨てて自由になる、そんな不可能を瞬間でも信じたふりがしたかった。
会社でつき合う人たちのほとんどは、作家や演出家というプロの表現者だった。「自由」が横に見えるから、会社員生活はさらにたまらなくなる。 ある高名な脚本家が笑って言った言葉を私は覚えている。「いやあ、 自由業って辛いのよ。ぼくは会社勤めの君がうらやましいな」。(自由業は自分を活かす 苦労だろ、会社員は自分を殺す 苦労なんだよ!)と、私は誰もいないトイレで、思わず空気をぶん殴った。
ある土曜日の昼、就職せずにフリーでいる友人に会った。夏休みの少年のような格好をしていた彼は、私にしきりに「自由であることの大切さ、尊さ」を 語るのだった。ひどく余裕のない口調で、(きっと自由同盟に 引き込みたいんだろうな)と思ったが、「自由」を貫いているようにも見えた。その生き方が 私の心に苛立ちを感じさせるのだった。
毎朝、山あいや海辺の町に向かう、ガラガラの小田急線の下り電車を見ながら、上りの満員通勤電車に乗り続けた。結局勤めていた5年間、私は一日も会社を休まなかった。下り電車に飛び乗ってどこかに行きたい、 と衝動に駆られたこともあったが、一日でも休んだら二度と出社できない気がした。だが、それ以上に、会社が「自分が否定されるところ」で、会社で「大切な何かが失われるのだ」という危機感を持ち続ければ、逆に「大切な何かをいつか得なければ」という思いを保ち続けることができる、きっと自分にそう信じ込ませようとしていたのだと思う。
5年間勤めた後、私は会社を辞めた。辞めた理由は結局、 ただひたすら本当の休日のようにゆっくり眠りたい、それだけだったのかもしれない。金曜の夜、「土日は休めるな」と思っても、手帳に月曜日の面倒な仕事の内容がぎっしり書き記されているのを見ると、気になって夜ほとんど眠れない日々が続いていたからだ。
退職する当日、空は青く、どこまでも透き通っていた。強化ガラス窓の向こうの青空が自分のものになるのだ、と思った。 退職手続きで、厚生課から<離職者の手引き>という冊子をもらった。表紙には、雑に描かれたイラストの鳩が青空に飛び立っていく絵が描かれていた。その空は安っぽい印刷で、ぼやけた、気が滅入るような不吉な青空だった。
眠れない夜とはお別れだ、もう会社の些事を気に病む必要もない、と考えていた私を待っていたのは、自由になった途端に訪れた、一睡もできない夜だった 。自由は、ゆっくり眠れる気楽な夜ではなく、一睡もできない苦しい夜を連れてきた。「夏休みが永遠にない生活」と、 「永遠に続く夏休みの生活」 は、どちらが根源的に人を不安にさせるのかと私は考えた。
写真家になった今でも、仕事がない平日には気持ちがざわめく。みんなが休んでいる休日には少し気が休まる。10年以上前、休日出勤で誰もいない会社の中にいるとき、なぜかとても穏やかな心持ちでいられたことを、そんなときには思い出すこともある。
丸田 祥三
写真家 1964年東京生まれ。96年に写真 集『棄景ー廃墟への旅』 で日本写真協会新人賞を受賞。近著に『少女物語 ー棄景Ⅵ』『鉄道廃墟』など。
出典 朝日新聞