縁側の猫
昭和四十年代、 私の祖父母は東京 郊外に住んでいた。 畑のチンチン電車の通るのどかな住宅地の一 角に夾竹桃のある古い日本家屋にはささやかな緑があった。
祖母は小柄で、とても温厚な人で あった。明治生まれながら長身で、 ソフトの似合う祖父はちょっぴり 神経質で厳しいところもあった。
祖父母は日頃から仲がよかったが、たまに祖母が引き取り手のない猫をもらってくることがあって、それでよく喧嘩になったものだ。
ある時、祖母が元の飼い主が持て余した、老いて弱った猫をもらってきた。もらい受けると、その猫に鍋を被せ、蝋燭に火を灯し、別の鍋の 周りをぐるりっと一周させた。 猫家に居つかせるオマジナイの一種 らしい。「これでもう、オマエは家族の一員だよ」。 祖母は微笑んだ。
かつて軍関係の開発研究に携わっていた祖父は、とても神経が細やかだった。常に書斎のペン立ての定位置まで決めていて、孫の私でさえ触ると怒られた。それを猫が事も無げにコロンと倒すものだから、それはもう、大変なお話だった。
私にとって、祖父母の家の印象はというと、祖父が祖母に小言を言い、 その傍らで、緑側の猫がのんびり欠伸をする、そんな情景が思い出され る。それでも、祖父母は半世紀、仲よく連れ添ったのだから、「家族って、不思議な縁で結ばれているんだ なぁ」と幼心にも感心させられた。
猫はもらった時から老いていたの で、やはり長生きはしてくれなかった。昔は「猫は己の最期は飼い主に見せない」と言われたそうだが、その老猫はよっぽど昔気質だったらしい。真摯にそれを実践したのである。 ついに老衰で動けなくなり、縁側に横たわっていたが、最後の力を振り絞り、戸の隙間から、外へと出て行 ってしまったのだった。 「ニャン」という微かな声を聴き、祖母が縁側を覗いた時にはもう姿は見えなかった。
祖母はさめざめと涙を零した。 あれほど猫を嫌っていた祖父は「もう猫はもらってくるなよ」と言いながらも、祖母のことを相当、気遣っている様子だった。しかし、特に慰め言葉は掛けてはいなかった。
「どこかで元気に生きているよ」 私がそう言うと、祖父はこう呟いた。 「いや、あれはもう、仏さまになったんだろう。諦めなさい。 生き物に退く時期が来ただけのことさ。 仕方がないよ」。そのぶっきらぼうな言い方が、いかにも祖父らしかった。「なぜ亡くなったと分かるの?」 そう問うと、祖父はこう答えた。「そりゃわかるさ、猫であっても、 あれもまあ、家族だったわけだから …」。そう言って、しばらく縁側から庭の隅の方を眺めていた。
それから二十数年後、その祖父が軽い病で入院をした時、祖母は突然体調を崩し、急逝したのである。 祖母の死を伝えるべきか。 私は気にやみつつ、葬儀の後、祖父を病院へと 見舞った。だが、祖父はなぜか祖母のことを一切、 訊ねてこなかった。 その後も祖母の話題をまったく口にしないまま、数日後に容態が急変、さして苦しむことなく安らかに往生した。
「たぶんおじいちゃんは、おばあちゃんが亡くなったこと、気づいていたのだろうね…」私の親はそう呟いた。 おそらくそうだったと、私も思う。きっと、それが家族というものなのだろう。
丸田 祥三